
マスター「エルモリア」について
<エルモリア大師>
Blue :5番目の光線(ブルーの光線:喉のチャクラ)
チベットのマスター
神の意志の寺院である、グレイト ホワイト ブラザフッドの一員。
「エソテリック スクール オブ アセンション」の学長
神の意志の寺院である、グレイト ホワイト ブラザフッドの一員。
「エソテリック スクール オブ アセンション」の学長
慈愛(寛容:内なる強さ)を教える存在
自分の内面の深い思考と感情を表現する方法を学び
自己覚醒を望む人々を直接支援します。
エルモリアは、カルデアのウルの地から現れ、
イスラエルの十二部族の古代の模範となり
祖先となったアブラハムとして具現しました。
東方の三博士のひとりメルキオルとなって戻ってきた彼は、
霊の子孫たちに神との全ての約束を果たす
神の最善の種子の誕生の
前兆となった星の後を追いました。
(これはキリストの誕生の時に東洋の三賢者が訪れたことを言っているようです)
ブリテン国のアーサー王として
彼は、聖杯を探索しまたイニシエーション(参入の秘儀)によって
キリストの内なる秘蹟を達成するために、
円卓の騎士とキャメロット邸の貴婦人たちを召集しました。
ともに殉教者である
トマス・ベケットとトマス・モアとして再び
英国の地に現れ、
彼は再び信仰の擁護者の役割を演じ、
またこれも二度(ヘンリー二世と八世として)生まれ、
二度暴君となったヘンリー王に対する挑戦者の役割を演じました。
十六世紀には、彼の魂の旅は彼を東洋のアクバル大帝の許に運び、
また十九世紀にはアイルランドの詩人トマス・ムーアへと転生させました。
次に彼は、おそらくチベットの大聖者として
最も有名なエルモリアカーンとして出現します。
皮肉なことに、エルモリアカーンについては従来の意味での
伝記的情報はほとんど知られていません。
知られているのは、彼がインドのクシャトリア階級の
勇気と名誉で高い評価を受けているラージプート族の王子として生まれたことです。
誕生日は知られていません。
エルモリアの生涯をかくも有名にしたものは、
東洋古代の霊的真理を西洋伝統に融合させた彼の広範な仕事です。
これは大部分、一九世紀後半の神智学教会の創設を通じて、
またその後のモリア師と彼の生涯にわたる友人である
クート・フーミ・ラル・シン師(クツミ)(オーラソーマYelloエッセンス)
によって伝えられた指示によって達成されました。
この指示は、神智学の一部の学徒、
「ヒマヴァットの大聖者」の弟子たちに宛てた私信の形で伝えられました。
これらの手紙は、現在はロンドンの大英博物館に保管されています。
また協会の文献の中にも、
生涯の大半を外部の世界に知られぬままでいることを好んだ
このヒマラヤの聖者の訪問を受けた
数少ない神智学徒の畏敬の念に満ちた証言が散見されます。
これらの弟子たちの書き物によれば、
エルモリアとのわずかのコンタクトを求めて、
多くの学徒が奮闘したことが明らかになっています。
1898年、エルモリア カーンは神のみ胸に昇天されました。