2017年05月26日

今日は双子座の新月

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タロットを引いたらマタ―の2
二つのことの並行作業、バランスをとる。

双子座の新月である今日にしっくりくる気がする。


今日5月26日は双子座で新月
新月の前後には体調がすぐれなくなる方もいらっしゃるかもしれませんが、
変わり目の時の緊張感に無意識にそうなるともいわれます。
わたしは、きのうは温泉でリフレッシュ、大地のエネルギーを注入してきました

そして、新月は 始まりの時間を象徴します。
何かを「スタート」させるタイミング。

その何かのヒントが「双子座」
双子座のキーワード
コミュニケーション、軽いフットワーク、ビジネス、基礎的な学び
旅、移動する、情報 など

知的好奇心が湧いてくるかも、軽いフットワークで何かはじめてみては?

今まで、自分の信念を持って動いてきた人には、視点を変えて、気持ちを新たにしてみるのもいいかもしれません。不安や迷いがいろいろ出てきているかもしれません。言い訳がたくさんあるかもしれない。

「ねばならない」というしばりや思い込みを捨てて軽くなってみる。

それでもつなげたい思い、続けたい気持ちそこに気づくことができるかもしれない

だからそれも含めて自分であり。それを受け止めて。

気持ちを新たに、背中に羽をひろげて、自由に軽い気持ちで。

動いてみたらどうかしら。

「双子座5度」… 過激な雑誌
 言葉や知性で動きが増強する。行動を呼びかける。荒々しいくらい。


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2017年05月11日

今日は蠍座で満月

今日5月11日は蠍座で満月 だって

満月とか、新月とか だからなんだろう?? って思っていましたが。
学びを深めるにつれ
「月」は人の潜在意識に働きかけるから
それは「心の切り替え」にちょうどいいタイミングにしています。

さてとある天使から聞いた話。(天使といっても仮名で、実在の肉体を持った人ですよ)
今回の蠍座満月では
各惑星がバランス、調停の配置。 ですって!!

「調停」「調和」はキーワードね。

また蠍座満月は
「内なる意識、本音に目を向けること」

牡羊座新月で自分の信念を貫く意識を感じ、
そして、現実の生活で、くじけそうになったり、困難を感じたり、不安を感じたり。

それでもなお、その信念を手放したくなったかも。

だからこそ、本当は自分がしたかったことはなにか?

こんなに痛みを感じるのに、やらねばならないのか?

改めて、自分と向き合う。

やりたくてもがいてる自分と、やめたい、あきらめたい自分と、これがやりたい!って初めに目標を決めた自分と。

あまり見たくない「自分の内側」「本音」と向き合うこと

※蠍座21度 「職務放棄戦士」
自分の信念で物事を判断し、誇りを持ち信念を貫く。

「ズレ」を感じているならなおさら、自分と向き合うこと。 そして「バランス」をとろう。

「バランス」をキーに自分を取り巻く人たちとも、バランスを意識してみようと思う。
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2017年04月20日

「内なる子供」と向き合うはなし 1

自分の話をしよう

自己肯定感が底辺以下だった
あの頃のわたし。

小学校のころ、心の中で何度呪いの言葉を自分に投げかけただろう。
何度も何度も自分にたいして「デリート」したい気持ちがあったわたし。
ヒトに拒否されて、ショックで、さびしくて、恥ずかしくて、かなしくて、孤独で、
誰かに助けてほしいのに、どうしていいかわからなかった、
誰かに気づいて欲しいのに、声に出せず絶望していたわたし。
仲間に入りたいのに、声が出せなかったわたし。
孤独は嫌なのに、独りでいた私。

嫌な記憶は思い出したくない、記憶していたくないのだ。
それがあると、つらくて生きるのが苦しいから。
すぐに忘れていたら楽なんだ。


すぐに忘れるのは自己防衛の一つ


自己肯定感という言葉がある。
自分を認めてあげられるか、大事にできるか、褒めることができるか…

これは子供のころ、成長の過程において「人に認められる」経験の繰り返しで養われる。

この国では、またはひと昔前では、親が自分の子供をそうそう褒めるなんてありませんでしたから。
認められる経験などはそうそうあるものでもなく、
そうそう私の「自己肯定感」が育つこともなかったのです。
逆に、この国では控えめであることが美徳とされてきましたので、子供や妻を褒めるというよりは、
「へりくだる」ことが多かった時代でした。

つまり「自己肯定感」は希薄な状態で「わたし」は成長していくわけです。

なんで、じぶんで自分を消去したかったのかな?
自分がものすごく醜くて、なんの価値もないと思っていたのかな?

なんでかな???

記憶のない頃の話
赤ちゃんの時、施設に入っていたんだって。
これは私の中には記憶がない。親に聞いた話。
ちゃんと迎えには来てくれていたというから、ここにはわたしの傷はないのかな?
でも別離はいやだったろうな。

赤ちゃんは表現方法が赤ちゃんなだけで
心は大人と変わらないってわたしは思っている。
 たとえば、その環境が快適か、不快か
 投げかけられている言葉が良い言葉か、嫌な言葉か
 投げかけられている視線が良いか悪いか
 痛みとか、気持ちいいとか
 大人と同レベルにわかっている。

と考えると…
よみがえる記憶
あの時おしりふきが冷たいのは嫌だったなとか
おきあがりこぼしのビニールおもちゃで遊んでて、うつ伏せだった。
ごろんと寝返りした拍子に障子のかどに頭をぶつけてものすごく痛くて、大泣きしたこと。

この記憶はわずかであんまりたくさんのシチュエーションは思い出せない。
アルバムの写真を見て、思い出したわずかな記憶です。

ヒトの記憶はやはり…どこかの引き出しに折りたたまれているのでしょう。

何かの刺激で、その引き出しが開くみたいです。
記憶ってそんな感じ。

気功の先生から聴いたところによると、人の記憶はあいまいなところがあって、
自分に都合よくしょっちゅう改ざんが行われているそうですよ。

つづく








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